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中国蒙牛乳業の成長とマーケティング戦略(1)
伊利を去り蒙牛を立ち上げた伝説の経営者
2013年11月1日

 「蒙牛」ブランドを掲げ、乳製品業界のトップの座に躍り出た中国蒙牛乳業。派手な広告戦略で業界を席巻したと思えば、製品からのメラミンや発がん性物質の検出などで信頼性が失墜し、業績に大きな影響が及ぶなど、その道のりはまさに波乱万丈だ。直近では他社買収や提携を通じて粉ミルクや生乳分野にも進出。総合乳製品メーカーへと変貌を遂げる同社の成長過程を振り返り、マーケティング戦略を分析する。

 中国蒙牛乳業は内モンゴル自治区に拠点を置く、1999年創業の比較的新しい乳製品メーカーだ。創業者の牛根生氏は立志伝中の人物で、創業からわずか8年で同社を液体ミルク業界の№1に成長させた伝説の経営者としても名高い。

 牛氏は78年に内モンゴル自治区のフフホト市にある牛乳工場で養牛労働者となり、放牧業務に従事。83年に伊利集団(現在の内蒙古伊利実業集団)に入ると瞬く間に頭角を現し、92年には生産経営副総裁まで上り詰めた。同集団の売り上げの80%は牛氏が率いる部門から生み出されるといわれるほど、圧倒的な存在感を誇っていた。

 ところが、なぜか社内での風当たりが強くなってしまったことに悩み、98年に同集団を去る。その後、しばらくの充電期間を経て、99年1月に中国蒙牛乳業の前身となる「蒙牛乳業有限責任公司」を立ち上げた。資本金は100万元。伊利時代の部下がこぞって移ってきたこともあり、ほどなく社員は数百人にまで膨らんだ。

 同社がまず考えたのは、どのように最大手の伊利に対抗していくかということだ。その答えは、ニッチ市場の強化。伊利が軽視していたローエンド市場に進出し、そこで知名度を向上させて「蒙牛」の名を売ることに注力したのである。同じテトラパックでもワンランク低い、容器が立っておらず薄い直方体のような形状の「枕型テトラパック」を採用。ハイエンド市場ではなく、それより下位にある二~三線級市場をターゲットとした。

 この背景には、同社が掲げる「先建市場、後建工廠(まずマーケットを築き、その後に工場を建設する)」という戦略が見え隠れする。設立当初は乳製品製造の中小企業8社を寄せ集めて自社の生産ラインとするなど、いわば手作りのスタートだったことも影響しているのだろう。アイスクリーム、液体ミルク、粉ミルクの3分野で40種類以上の製品を製造し、初年度の売上高は4365万元。同業の中では下位の119位だった。(続)

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