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内陸部の巨大消費都市、武漢と長沙 (1)
発展を遂げる中国内陸マーケット
2015年12月24日

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 武漢の戸部巷

内陸部を目指す日本企業
 世界第2位の経済大国になった中国。その始まりは鄧小平氏による深圳経済特区が成立した1978年といえる。海外から安価な労働力を求めて多くの企業が進出し、各地で工場建設のラッシュとなった。その後、沿岸部を中心に、上海や蘇州、厦門、青島、大連など各地で経済開発区が設けられ、海外からの直接投資の増加が現地の経済水準を押し上げた。

  二桁台の急成長とともに中国人の消費水準も向上し、勃興する沿岸部の消費市場を目指し、90年台後半からリーマン・ショック前の2007年頃まで商業・流通企業の進出も相次いだ。一方で、内陸都市はこうした沿岸部での経済発展がひと段落してからの離陸となり、2000年代後半になってから徐々に成長のペースを早めていった。

  08年のリーマン・ショックによりその勢いはさらに強まり、沿岸部での成長が頭打ちになる中、内陸都市は政府による積極的なインフラ投資にも後押しされ、二桁台の急成長時代を迎えた。日本でも「これからは内陸都市の時代だ」と成都や武漢への投資を促すような論調もメディアで見られるようになり、潜在性を高く秘めた内陸都市に早めに進出することで先行者利益を得ようといった話もあるほどだった。

  そうしたなか、日本では内陸都市の代表格として、成都と長沙が注目を集めた。四川省の省都・成都は、イトーヨーカ堂が96年に進出し、地元市民の圧倒的な支持を集め、日本を含む全店舗のうちトップ5に入るほどの売上高を達成するようになった。一方、湖南省の省都・長沙では、滋賀県を拠点とするスーパーの平和堂が98年に百貨店を開き、同じく地元市場で大きな勢力を形成するに至った。このイトーヨーカ堂と平和堂の成功が、成都と長沙の日本での知名度を高めただけでなく、日本企業でも内陸都市で地元市民に愛される店舗として“やっていける”先行例として取り上げられるようになった。

  これを背景に、またイトーヨーカ堂と平和堂というプラットフォームを得た日本の商業、小売・流通、サービス系企業は、商業都市である成都と長沙の両都市への進出を加速するのだが、中国国内では、実はそれぞれ隣の大都市である重慶や武漢のほうが、政治的にも都市的にも重要で大きいとの認識だ。直轄市である重慶と湖北省の省都・武漢、それぞれ工業都市として発展した経緯を持つのも共通点だ。特に武漢は東西南北に向かう鉄道や高速道路の交差点に位置し、古くから交通の要衝として栄えただけでなく、中国第3位の自動車メーカー、東風汽車のお膝元として、日産とホンダを誘致している。また、重慶でも、スズキが1993年に進出し、地元のタクシーにも採用され現地に密着するなど、自動車業界での存在感は抜群だ。

  人口的にも経済規模(GDP)的にも重慶や武漢に進出するのが妥当と思われる有望市場ながら、日本からの小売・流通系の進出は盛り上がりに欠けていた。成都や長沙から発する華やかなイメージとは違い、どことなく陰気でゴミゴミした雑多感を醸し出す両都市だが、その扉をこじ開けたのが14年に武漢に初店舗をオープンしたイオンだろう。

  広東省や山東省の青島、北京、蘇州などで着実に実績を伸ばし、知名度も高めているイオン。いよいよ内陸の大都市、武漢の消費市場をターゲットにしたことは、武漢の消費水準や現場がようやく国際化や多様性を求め始めたというメッセージとも読み取れる。イオンを介して家具チェーンのニトリが中国初進出したように、今後、日本企業の武漢や内陸都市への進出が促される可能性も秘めている。

  今回は武漢の消費現場について現地視察を踏まえた分析を行い、14年9月号で比較特集を組んだ「成都 vs 重慶」のように長沙との比較のうえで、日本企業にとってのチャンスを探りたいと思う。(続)

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